謎を秘めた一枚の着物

我が家には一枚の古い着物があります。
桐の箪笥の底にあったために、嫁いできた私は長年気が付かず
結婚して20年近くたって見つけ出しました。



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背縫いに一つの背紋、両後ろ袖に袖紋、
両胸に胸紋の五つ紋の礼服であることがわかりました。
紫の地色に裾模様のある着物ですが、
しみ一つなく色合いも鮮やかで驚きました。



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我が家の状況から姑の物で、
戦前に作られた品であることが理解できましたが、
古いものであるにも関わらず、
保存の良いことはただ驚きで、
桐の箪笥であればこそと思いました。

一緒にあった帯は、総柄、通し柄の全通と言われる品で
格式の高さを感じる帯でした。
同じころ茶箱から出てきた4枚の大小の袱紗は
紋が着物と共通しており、100年近く前に我が家で
慶事があったことを偲ばせます。



20200119使用 (2)

20200119使用 (1)



箪笥にしまっておくのはもったいないので、
友人の娘さんや姪たちなどいろんな方たちに着てもらっていました。
孫娘も着る機会が回ってきて、その晴れ姿を披露してくれました。



めいの晴れ着姿01

めいの晴れ着姿06

めいの晴れ着姿04




私も古稀を祝ってくださるとのことで初めてその着物を着ました。
ある時は、福岡で公演したルーマニアの児童劇団の
女優さんにも着てもらい国際親善になりましたが、
手元にあったその写真が見つからないのが残念です。
これからその着物は、長い眠りにつきます。



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「首里城大火災に想う」part3

首里城の大火災は多くの人々の胸を痛めましたが、
あの火災で地元の子どもが食事を口にできなくなったり、
学校を休んだりしているとのニュースに心痛めた女性講師が
デジタル技術を使った3Dモデルでの首里城復元のニュース
(11月29日朝日・関連記事として2020年1月15日朝日)
を読んで、私もできることをと、
王朝文化の華と言われた琉球漆芸の紹介をします。



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さんさんと照りつける太陽、高温多湿な気候、強烈な紫外線、
これらはすべてが琉球漆器の生産に必要な条件で、
琉球は漆器の生産に適した風土でした。



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特に朱色は強烈な紫外線によって鮮やかさを増し、
その鮮明さは他地域にみられないものです。
沖縄の近海で採れる七色の変化を見せるヤコウ貝、
木地に軽くて堅牢なデイゴやシマタキ(エゴの木)の木の使用などが
琉球漆器の名を内外に高めました。


美しい色漆や明るい朱漆、七色に輝くラデン漆器などの作品は
15世紀の半ばからおよそ500年にわたって生産しつづけられました。



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琉球の漆器は14世紀末ごろから作られ始めたと言われていますが、
もともと中国や日本の技術を習得しつつ、
琉球文化のなかでさらに独自の技法を生み出し、
独特な琉球塗として成長したものです。
16世紀にはすでに高度に発達した琉球独自の漆芸品をつくっていました。



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琉球漆器には中国の作品にもひけをとらない細密な文様を施した沈金や、
目もくらむほどの鮮やかな朱漆地に、大胆に、
そしてのびやかに模様を描いたラデンなど、
琉球独自の漆芸文化が華開いていきました。



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朱漆沈金天目台(シュウルシチンキンテンモクダイ)16世紀 (大英博物館所蔵)



琉球漆器の朱塗の鮮明さは、他地域に見られない強烈なものです。
鮮やかな朱色に金箔線が立体的に輝き、器物全体に牡丹や唐草、
そして地紋が施されて豪華に輝いて他の追随をゆるしません。
鮮明な朱色々と金箔線は琉球沈金の絶対的な魅力になっています



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焼失した首里城正殿の玉座は、その象徴ともいうべき存在でした。
琉球漆器は中国をはじめとする東南アジアの交易品として海を渡り、
海外にその名を高め琉球王朝の文化の華とうたわれました。



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沖縄には琉球王朝文化のシンボルとも言うべき「琉球舞踊」や「音楽」、
琉球の万葉集とも言われている「おもろそうし」に、
アジアの壮大な交流を物語る「染め織物・・特に絣」や 
世界遺産に登録されている数々の建造物など
日本本土とは異なる文化があります。
その象徴ともいえる首里城の一日も早い復興が望まれます。



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デイサービスで出会った人々

私は高齢のひとしぐらし。
複数の病もあって週2回、
近くのデイサービスに運動のために通っています。
送迎は黒塗りの乗用車。もちろん介護認定をうけました。


カメラー1


運動は8個のマシーンとノルウエー式スリングと言う
天井から吊り下げたロープに両手または、両足を預けて動かす
二種類の器具で運動をします。
ひとグループ5、6人の構成で小休憩の時間には
お好みの飲み物で雑談をします。


カメラー2


私は通い出して今年で8年目になりますが、
多くの方々との出会いと別れを経験しました。
その中で印象に残った3人の男性を紹介したいと思います。

Mさんはもと研究者で、音楽がお好きでよく唄われ、
外国の民謡などは原語で歌われます。
頭脳明晰だった方が少し曇ってこられたようで、
私は一日も早い回復を願っています。

Kさんは2,3年前に奥様を亡くされ、
90歳を超えて一人暮らしをなさっておられますが、
お洒落で快活で、デイサービスでお会いすると
「コーヒーを飲みに行きましょう」が合言葉になっていて
唄うことが生き甲斐になっておられる方です。

Hさんは、90歳になられた今も奥様の介護をなさっておられますが、
ハーモニカの演奏は素晴らしく、頭脳明晰で
一言話されるたびに万座の笑いを誘い、
休憩時間はその内容の辛辣さに、大爆笑で大賑わいです。


カメラー4


三人に共通するのは音楽がお好きなことで、
私の通うデイサービスの方針である音楽と運動を楽しまれて、
今を文字通りフアイナルステージとされて居られる姿に、
私は敬意を表しています。


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毎年恒例の音楽会が開かれ、私たちもスッタフの方たちとともに
楽しいひと時が持たれています。


カメラー3


もう先が見えてきました私たちですが、
絶えず私たちを見守り、さりげなく励まし慰めてくださる
スッタフの方たちの優しさは、老いを生きる私たちにとりまして
大きな励みになっています。



お正月

あけましておめでとうございます

2020年の元日は恒例の雑煮会が我が家であり、
東京や沖縄から孫たちが集まり、
今年はカップル一組が減り、総勢10人で屠蘇を祝いました。


新年会ー3


食べ盛りの若者が勢ぞろいしての雑煮会。
事前に餅の数、お椀の数を確認してスタートしました。
準備も大変ですが、お代わりも忙しく、
今年は次男の妻が取り仕切ってくれましたので、
私は大助かりでした。


新年会ー2


テーブルに並んだ重箱や大皿の盛り合わせは
乾杯とともにみるみる消えていきました。


20200101新年会昼の部乾杯640


話も多いに盛り上がり、
一区切りつくと次男が音頭をとって後片付け。
我が家では後片付けは男子の仕事。
私をはじめ女性陣は、ゆっくり休養。

すべてが一段落すると私以外は初もうで。
近くの紅葉神社にでかけました。

夜の部がはじまります。
大勢の料理を賄うために私が考え出したのが手巻き寿司、
長男の手料理とともにまた食卓はこぼれんばかりの料理の数々、
飲み物もビールをメインに日本酒、焼酎、
私の知らない若者向けの缶酎ハイ、
孫たちの第二の母親Tさんの登場で宴は最高調です。

Tさんはサンタクロースなみの大きな袋の中は
和洋の菓子類から靴下などの衣類などお土産どっさりで、
宴は最高に盛り上がります。
夜の部のBGMはウイーンフイルハーモニーのニューイヤーコンサート。
お決まりのラデッキー行進曲で一同一息つきます。

その後、部屋のあちらこちで陣どって
眠っでいる若者たちを揺り動かして起こし、後片付けになります。
若者たちは手馴れていてふき取った食器類はもとの場所に収まっていきます。
食卓の残った料理は、女性陣がお持ち帰り用に仕分けをします。

Tさんお手持ちの味とりどりの菓子を賞味してお開きにまりました。
最後に記念写真を撮影しました。

20200101集合写真640

今年もよろしくお願いします。

詳しくはこちらをどうぞ。
ブログ:「こらよか」

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孫の結婚記念写真

沖縄在住の私の孫夫婦は2年前結婚しましたが、
入籍はしたものの式は挙げていません。
それを沖縄に住む孫の両親の友人一家が
せめて記念写真をということで、
一家をあげての取り組みになりました。


写真ー1

写真ー2


花嫁衣裳はその友人の妻のもので新郎の分はどこかで調達し、
場所探し、背景の飾り付け、カメラマンなどと役割分担をしました。
会場は沖縄のパワースポット浜比嘉島(はまひがしま)や
崇元寺(そうげんじ)跡(三連アーチ型の石門は県の重要文化財に指定)
などにしました。


写真ー7


時期は10月でしたが、沖縄の日差しは強く、
二人がどこに行くにも傘もちが必要で、
飾り付けは愛情あふれる手づくりでしたが、
二人の笑顔が最大の華でした。
記録の写真を眺めているだけで、私は幸せいっぱいでした。


写真ー4

写真ー5

写真ー6



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Author:nvuedi93pz1y
85歳でこのブログを始めようと思いました。その希望を持たせてくれた息子たちやその妻の献身に感謝して、老いの坂道をゆっくり歩きたいと思っています。

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