西ノ島の誕生と明神礁の悲劇

先日NHKの2回にわたるサイエンスゼロで
西ノ島の誕生をつぶさに見ることができました。
海底火山の噴火により西ノ島新島が海上に姿を現す有様は,
壮大で海から噴き出した大地がそれまでの岩礁を囲い込み、
みるみる島を形成するさまには圧倒されました。



西ノ島の位置

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西ノ島の全景

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西ノ島の成長プロセス

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この西ノ島は標高が約25mですが、
周辺の海底の平らなところからの高さは約4000mもあり、
富士山よりも大きな火山とはそのスケールの大きさにも驚きました。



西ノ島の構造

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プレート沈み込み帯に位置する日本は、
地震や火山噴火が数多く発生します。
海底火山の噴火により新島が姿を現したのは、2013年11月。
今も拡大を続け、海底火山が一度にこれほどの量の溶岩を
噴出し続けた例は過去になく、火山学の常識を
根底から覆す現象として科学者達を悩ませています。



地球の構造

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西ノ島の誕生は海の中から大陸ができる状況を
人類史上初めて目撃できたことですが、
噴火のエネルギーのもとはこれからの研究の課題のようです。

そのことをきっかけに息子から
明神礁(みょうじんしょう)のことを聞きました。
私が高校生のころ社会的に関心をもたれた噴火で 、
当時は話題になりましたが、私は忘れていました。
明神礁は東京の南方約420kmに位置する
カルデラ地形の北東の縁にある海底火山で 、
1952年9月 八丈島南方で噴火、新島が誕生し、噴火を報告した
漁船・第11明神丸にちなんで明神礁と名付けられました。



明神礁の位置

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9月23日、海上保安庁の観測船第5海洋丸が
明神礁の調査に向かったまま消息を絶ち、大規模な捜索の結果、
4日後の27日に明神礁の南方で救命ブイが発見され、
東京教育大学教授ら調査団9名と乗組員22名は行方不明となり、
後に全員殉職死亡と認定され、
世界海底火山観測史上未曾有の悲劇となりました。



遭難した第五海洋丸

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明神礁の噴火

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悲劇の真相の解明によって明神礁の付近の海底地形は
海面下1500mから聳え立つ二重式の一大海底火山で、
記録に残っているものだけでも明治2年以降
十数回爆発があったところでした。
大正の噴火の爆発は原子爆弾に
匹敵するほどであったと言われています。
第五海洋丸はこのような規模の噴火に
巻き込まれたのではと言われています。



明神礁の海底地図

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明神礁の悲劇はその後映画「ゴジラ」の冒頭、
貨物船の消息不明が伝えられるシーンで、
「明神礁の爆発の時にそっくりだ」というセリフがあり、
それは「第五海洋丸」の遭難を指していました。
今、世界には1500の火山があり、
そのうち110の活火山が日本に集中しています。
世界の陸上にある火山の7分の1。
この事実を踏まえて私たちは生きていくことになります。
海底は未知の世界、第5海洋丸の悲劇を
二度と起こさない努力が求められています。



明神礁の噴火

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母の日の花束

5月10日母の日に次男の妻から、
今年も見事な花束を頂きました。
彼女のセンスは独特で緑の少ない我が家に、
緑感あふれる花束は、その生命力を感じ、
砂漠のオアシスのようで命を貰ったように思いました。
とても嬉しく、本当にありがとうございました。

2020051701母の日の花




我が心のキャメロット

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21世紀とともに始めた私のパソコンライフ、年末には卒業レポート「私の韓国岳登山」が出来あがり、弟の親友の小春ホームページに掲載されることになりました。文章も覚束ないレポートを発表できる場があることに自信を得て、一歩づつ足を踏みだしました。

その小春ホームページのあるじは、多芸多才の持ち主で、そのお住まいの庭の広い小春庵は、多くの人々が集い、楽しい語らいの傍らには、小春ちゃんと茶々まる君の二匹の猫が行きかい、あるじのおもてなしに興を添えていました。

私はレポートを通して親しくなった人々との出会いと交流の楽しさに、子ども時代に馴染んだアーサー王伝説の舞台キャメロットを連想しました。

同じ高校の同学年の方々で構成された集まりに、私のような年齢も一回り上の者までも加わり、楽しむことができました。
アーサー王の妃は、美しいバレリーナで、伝説の王妃とは比べようもない、心の温かいおもてなしに、小春庵でのくつろぎは忘れがたいものでした。



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夢の中のような吉野山の花見、思いもかけなかった傘寿の祝い、定例化していた会食など数々の催しは、それまでの私には想像もしなかった世界で、あるじご夫妻のご好意は一生忘れられません。

時は過ぎ、人と人を分断するようなコロナ禍によって、すべてのことが思い出の世界になってしまいました。65歳から85歳まで過ごしたその世界は、私にとって現代のキャメロットとなり、160本のレポートは、私が自分らしく生きた証として私の宝となりました。その機会をつくってくださったあるじご夫妻には心から感謝しています。

あの小春庵で過ごした20年間は人生の終末期に出会った「わが心のキャメロット」でした。



下記のurlは2003年に書いた当時の思いと弟の解説です。

「キャメロットとは?アーサー王物語とは?」
http://hmpiano.net/koharu/shuyu/moriwaki/myself/image/year2003/june/part2/newpage2.htm


パソコンと私

20年前、弟の家でのパソコンで
海外から来た一通のメールを見た時、
現代はこんなことが出来る時代なのだと
カルチャーショックを受けました。
そのことがきっかけで
私のパソコンライフが始まりましたが、
そのとき私は65才でした。

早速、弟の高校時代の3人の友人たちの援助で
我が家に機器が設置されて、
その取扱いにその友人のお一人が
料理屋の経営をされながら1年間無料で
パソコンの操作を指導してくださり、
機械に弱い私が1年後には
旅行のレポートが書けるまでになりました。



最初のレポートに掲載した写真・高千穂

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もう一人の友人が運営されるホームページに、
レポートを投稿するようになり、
20年間で160本のレポートを書きました。
テーマは私が関心を抱いたものや興味のあるもので、
旅行や登山、歴史や音楽など、
ジャンルを超えてあらゆる事柄を取り上げました。



祖原山で開かれた結婚式道中

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レポートの種は、新聞、本は序の口で、テーマによっては
ショッピングカーで図書館から美術全集など
資料となる本を借りだしたり、丹念にネット検索したり、
目を皿のようにして関連情報を集めました。
歴史のレポートは時日の正確さが必要なので神経をつかい、
体力、気力を集中して膨大なエネルギーを使いました。
また歴史をどう解釈するかにも時間をかけました。



パソコン指導の恩師・Yさん

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160本のレポートのお陰で、パソコンの操作を習得し、
機器が変わっても、新しい機種に馴染み、楽しむことができました。
膨大なレポートを発表する場があり、
多くの方々と交流することができました。



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レポートの中身を今ふりかえりると、私がこの世に生を受けてから
86歳の今日まで、見たり聞いたり経験したことが網羅されていて、
私の自己実現の場となり、今も飽きることなく
パソコンが傍にあることで生き甲斐になっています。



朝鮮通信使・道中

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その経験が高齢になってもパソコンが暮らしの中心にあり、
疑問や一人暮らしの不安の解決になっています。
コロナ禍によって外出が制限されても、
ネット販売などの活用で解決され、
私一人が楽しむ世界がある幸せを感じています。



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これは私一人が出来ることではなく、
近くに住む息子と大阪に住む
弟のサポートのお陰と感謝しています。
弟と息子と私は、音楽や歴史、絵画などの
文化芸術に共感するものがあり、その語らいは楽しく、
その道筋をつくってくれた人物には心から感謝しています。
私たち姉弟の父、息子には祖父に当たる人物で、
名もないサラリーマンでしたが、
その教養と理性的な人柄は、86才になる私は、
今もこの父のもとで生まれ育った幸運に
深い感謝の念を抱いています。

私の茶馬古道

東西文化の思想や道徳、文化や創造活動の交流という面で
大きな役割をはたしたシルクロード、
鉄の伝播による世界史の発展を促したアイアンロードとともに、
地域の交易を実現した茶馬古道は、
具体的な願望によって生まれた道といえるでしょう。
数年前に興味を持って私がまとめた茶馬古道を紹介したいと思います。




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「茶馬古道」は、茶の原産地とされる雲南南部の
亜熱帯の森や、四川の茶山から始まりました。
少数民族の暮らす地域を通過して、
中国西南部を横断する山脈の深い谷と雪山に分け入り、
平均高度4000mのチベット高原をこえて
チベット仏教の聖地ラサにいたるルートでした。
別名「西南シルクロード」とも言われていました。



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チベットから先はインド、西アジアやヨーロッパへも続くことから、
シルクロードに匹敵する国際交流の道といえました。
各地ではお茶だけではなく、絹や布、塩なども取引され、
雲南北部には茶馬古道の主要交易品の塩が
現在も生産されるなどその古道の痕跡を見ることができます。



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雲南省の魅力は一言では言い尽くせないようで、
とくに茶馬古道のコースは、少数民族の風情や建築、
衣裳や音楽、料理やトンパ文字など多彩で、
馬の隊商が通った石畳、往時の繁栄をうかがわせる古建築、
万年雪を頂く山あり長江の谷ありの自然景観、
そして美味しい地方料理などが、
中国の他の地域と違う特有の魅力となっていました。



トンパ文字

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茶馬古道のキャラバンはナシ族の街「麗江」、ペー族の街「大理」、
そして伝説の桃源郷「香格里拉(シャングリラ)」や
未踏峰の神々の山「梅里雪山(ばいりせつざん)」を超え、
遥かなチベット高原を横切り、聖都ラサへと続いていきました。



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地球のいたるところに伸びる道は、文明と文明が交差し、交流を通して、
宗教や風習の違いを超えて文化が発展してきました。
欧米文化の原点、古代ギリシャ文明やイタリアからのルネサンスなど、
ともすれば私たちの視点は欧米に傾きがちでしたが、
中央アジアにも素晴らし文明があったことを
そのことで知ることができました。
この間のNHKの「アイアンロード」前編、後編、「茶馬古道」などの
ドキュメンタリーはそのことを気づかせてくれたのではないでしょうか。

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Author:nvuedi93pz1y
85歳でこのブログを始めようと思いました。その希望を持たせてくれた息子たちやその妻の献身に感謝して、老いの坂道をゆっくり歩きたいと思っています。

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